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東京高等裁判所 昭和60年(ラ)63号 決定

抗告人(債務者) 社会福祉法人 いずみの会

右代表者理事 藤田洋

右代理人弁護士 塩川哲穂

相手方(債権者) 向井美津子

〈ほか七名〉

右相手方ら八名代理人弁護士 杉井静子

同 吉田健一

同 平和元

同 山本哲子

同 井口克彦

第三債務者 立川市

右代表者市長 岸中士良

主文

本件各抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  本件各抗告の趣旨は、「原決定を取消す。相手方らの申立にかかる各債権差押命令を不許可とする。」との裁判を求めるというにあり、その理由の要旨は次のとおりである。

1  抗告人は、「みぎわ保育園」なる名称の保育所(以下「本件保育所」という。)を運営しているものであり、相手方らはいずれも抗告人の職員である。抗告人は、措置児の父兄からは経費を徴収せず、保母、調理員等に対する人件費及び園児の給食費等については、すべて行政当局(国、東京都、立川市)から支給される措置費をもってその支出をしている。

相手方らの申立にかかる本件各債権差押命令(原決定)は、抗告人から相手方らに対し昭和五九年一二月下旬に支払われるべき賞与(以下「本件賞与」という。)を被担保債権とする一般先取特権に基づくものであるが、本件賞与中には使用者である抗告人の考課、査定部分があるところ、抗告人は、本件賞与についてまだ個別的な考課、査定の手続をしていないから、相手方らは、支給を受けるべきものと主張する本件賞与について具体的請求権を有しないものである。したがって、本件各債権差押命令申立の基本となった一般先取特権は、その被担保債権が存在しないから、原決定は取消を免れない。

2  抗告人は、期末、勤勉手当である本件賞与については、前記のとおり行政当局から支給される措置費をもってその支出をするが、抗告人の就業規則一七条但書は、「但し期末、勤勉手当の額は措置費等の都合を考慮してその都度定める。」と規定している。

ところで、抗告人は、相手方らを含む全職員に対し昭和五四年一二月に支給すべき期末、勤勉手当については同年一二月に支給される措置費をもってその支出をする予定であったところ、抗告人の元職員であった井上多計子らが昭和五九年一二月抗告人に支給される措置費の内金三五〇万円余について債権差押をしたため、本件保育所の運営は財政的に危機的状況に陥り、抗告人は、職員に対し右期末、勤勉手当を支給すれば、昭和六〇年一月分の給与を支給することができない状態となった。右のとおり、抗告人は、全職員に対し右期末、勤勉手当を支給することができないので、就業規則一七条但書によりその支給をしない旨を決定したから、相手方らは、本件賞与について具体的請求権を有しないものである。なお、相手方らの加入する日本社会福祉労働組合は、本件保育所の運営の混乱、乗取りを企図し、その戦術の一環として相手方らをして本件賞与の請求をさせているものである。

したがって、本件各債権差押命令申立の基本となった一般先取特権は、その被担保債権が存在しないから、原決定は取消を免れない。

二  当裁判所の判断

1  抗告人の抗告理由1について

児童福祉法は、保育所を含む児童福祉施設について厚生大臣がその設備及び運営等の最低基準を定めるべきものとし(七条、四五条)、市町村長が児童を保育所に入所させて保育する措置をとった場合につき、右最低基準を維持するために要する費用(措置費)は市町村の支弁とするとしている(五一条一号)。そして、本件記録によれば、相手方らは、いずれも昭和五九年一二月二七日東京地方裁判所八王子支部に対し、抗告人に対する昭和五九年一二月下旬に支払われるべき賞与(賃金)支払請求権を被担保債権とする一般先取特権に基づき債権差押命令の申請をし、同裁判所は、昭和五九年一二月二八日本件各債権差押命令(原決定)を発し、同命令正本は、いずれも昭和六〇年一月四日第三債務者である立川市に、同年一月一一日債務者である抗告人にそれぞれ送達されたこと、本件各債権差押命令における被担保債権は、抗告人が相手方らに対し昭和五九年一二月下旬に支払うべき賞与から昭和五九年一二月二五日に支給された五万円を差引いた金額であって別表被担保債権額欄記載のとおりであり、被差押債権は、第三債務者である立川市が毎月下旬抗告人に対し交付する保育所措置費(法人本部会計・施設会計)のうち別表請求債権額欄記載の金員であることが認められる。

次に、本件記録によれば、次の事実が認められる。

(一)  抗告人は、昭和五三年四月から本件保育所を運営しているものであり、また、相手方らは、それぞれ抗告人に別表雇用時期欄記載の時期に同表職種欄記載の職種で雇用され、現在に至るまで引続き勤務しているものである。

(二)  抗告人の就業規則(昭和五四年七月三〇日制定)一七条一項は、「職員に対し別表の手当支給表に定める手当を支給する。」と規定し、右手当支給表によれば、抗告人は、その職員に対し期末、勤勉手当として年間に本俸と調整手当(本俸の九パーセント相当額)の合計額の四・九か月分(六月一・九か月分、一二月二・五か月分、三月〇・五か月分とし、在職六か月以上の者について一〇〇パーセント、在職六か月未満の者について七〇パーセントとする。)を支給する旨が定められている。そして、抗告人は、右のほか毎年一二月の期末、勤勉手当には全職員について立川市からの補助金各五万円を加算して支給してきた。

(三)  他方、措置費中の人件費については、厚生省の通達により基本給部分の平均的な基準単価が国家公務員の給与格付表を基準として算出され、期末、勤勉手当は国家公務員と同一の支給率で算出され、昭和五九年度は六月一・九か月分、一二月二・五か月分、三月〇・五か月分の財源が保障されてきた。

また、東京都は、昭和四八年東京都の区域内に所在する福祉施設等を対象として、職員の待遇改善を図り、もって施設経営の近代化と施設入所者の処遇の向上及び均等化に資することを目的として、職員給与公私格差是正経費交付実施要綱を設け、右福祉施設の職員を個別的に東京都の職員の給与表に格付して措置費中の人件費との差額を保障するための是正費を交付し、東京都の職員との賃金格差を是正したから、抗告人には期末、勤勉手当について東京都の職員と同一の支給率である年間四・九か月分の財源が保障されてきた。

以上の事実が認められる。

右事実よれば、抗告人における手当に関する就業規則は、労働条件を定型的に定めたものであり、使用者と職員との間の労働条件はその就業規則によるという事実たる慣習によって個々の労働契約の内容となり、被告人と相手方らとを拘束するものというべきである。

そして、一般に期末、勤勉手当は、労働者が過去の一定期間勤務したことに対し、その勤続期間、勤務成績等に応じ、かつ、使用者の業績に応じて支給の有無、支給額等が具体的に確定されるものである。ところで、本件において抗告人が右期末、勤勉手当を勤務手成績等に応じた考課、査定に基づいて支給すべきものとし、抗告人が右考課、査定に基づいてその支給をしてきたことを認めるに足りる資料はなく、かえって、本件記録によれば、相手方らを含む抗告人の職員は、従来から期末、勤勉手当として就業規則所定の支給率に従った金員の支給を受けてきたこと、現に抗告人は、本件賞与の支給の予定として相手方らに対しいずれもその本俸と調整手当(本俸の九パーセント相当額)の合計額の二・五か月分を支給するものとして計算をしていたことが認められる。

以上の事実によれば、抗告人における期末、勤勉手当は、抗告人の恩恵による給付ではなく、抗告人が職員に対し労働の対価として支払を義務づけられた賃金の一種であり、そのうちの一部が抗告人の査定に服すべきものであるとしても、抗告人は慣行的に右査定権を行使しないこととしていたのであるから、その支給対象期間中勤務した職員は、就業規則所定の支給率による期末、勤勉手当請求権を取得するものと認めるのが相当である。ところで、期末、勤勉手当の支給対象期間についてこれを定めた特段の資料は見当らないから、前記認定の支給時期に照らし、毎年六月に支給される分は当年四月から六月までを、一二月に支給される分は七月から一二月までを、三月に支給される分は一月から三月までをそれぞれ対象期間とするものと認めるのが相当である。

そして、前記事実及び本件記録によれば、相手方らは、本件賞与の支給対象期間である昭和五九年七月から同年一二月までの間本件保育所に勤務したものであり、昭和五九年一二月二八日までに、右期間の賞与(期末、勤務手当但し、既払の五万円を除く。)として、抗告人に対し別表被担保債権額欄記載の債権を取得したことが認められる。

なお、仮に抗告人において従来の慣行を改め、本件賞与につき個別的に査定をすることとしたとしても、右のような査定は支給期に間に合うようにすべきであって、そうでない限り査定をする権利を放棄したものと解するのが相当である。したがって、相手方らは、昭和五九年一二月下旬就業規則所定の支給率により本件賞与を請求する権利を取得したものと解すべきである。

よって、抗告人の抗告理由1は採用することができない。

2  同2について

本件各債権差押命令における被差押債権は、第三債務者である立川市が毎月下旬抗告人に対し本件保育所運営のために交付する保育所措置費であるところ、本件記録によれば、本件保育所就業規則一七条は、「職員に対し別表の手当支給表に定める手当を支給する。但し期末、勤勉手当の額は施設の措置費等の都合を考慮してその都度定める」と規定していることが認められる。

右事実及び1に認定した事実によれば、抗告人は、右就業規則一七条但書の規定により期末、勤勉手当の額については措置費等の都合を考慮してその都度定めることができるものというべきであるが、しかしながら、原則はあくまでも同条本文所定の別表の手当支給表に定める期末、勤勉手当(すなわち、本俸+調整手当四・九か月分(年間)夏六月一・九か月分 冬一二月二・五か月 春三月〇・五か月)を支給するにあり、抗告人が同条但書により期末、勤勉手当の額を定めることは、抗告人の自由な裁量に任されているものではなく、措置費の支給状況、本件保育所の運営状況等から見てやむをえない事由がある場各に限り合理的な範囲において別段の定めをすることができるものと解すべきである。

本件記録によれば、抗告人の職員であった井上多計子、関根裕子は、昭和五九年一一月東京地方裁判所八王子支部に対し、抗告人に対する同裁判所昭和五九年(ヨ)第二八八号地位保全等仮処分決定の執行力ある正本に基づき、また、抗告人の職員である田崎いく子は、昭和五九年一一月同裁判所に対し、抗告人に対する同裁判所昭和五九年(ヨ)第二五一号労働条件変更通告効力停止仮処分決定の執行力ある正本に基づき、それぞれ債権差押命令の申請をし、同裁判所は、昭和五九年一一月一二日それぞれ債権差押命令を発し、同命令正本は、いずれもそのころ第三債務者である立川市、債務者である抗告人にそれぞれ送達されたこと、右各債権差押命令における被差押債権は、第三債務者である立川市が毎月下旬抗告人に対し本件保育所運営のために交付する保育所措置費のうち、債権者井上多計子につき一五四万〇一四一円、同関根裕子につき一二四万九九二一円、同田崎いく子につき二一万〇五八三円であり、その合計額は三〇〇万〇六四五円となり、右各債権差押が本件保育所の運営にある程度の影響を及ぼすことが認められる。

しかし、抗告人が本件賞与を支給することにより抗告人主張のように本件保育所の運営が危機的状況に陥ることを認めるに足りる資料はなく、かえって、本件記録によれば、前記各仮処分決定による本件保育所措置費に対する債権差押は事前に相当程度予測されたこと、相手方らに対する本件賞与支給の資金は、すべて昭和五九年一月から同年一二月までの間に立川市から抗告人に対し交付された措置費に含まれていること、抗告人は、約六〇〇万円の剰余資金を有することが認められる。

右事実によれば、抗告人が相手方らに対し本件賞与のうち五万円を除く部分を就業規則一七条但書により支給しない決定をしたことについてやむをえない事由があったものとは到底認められず、抗告人の右決定は同条但書の解釈適用を誤ったもので、無効であるといわなければならない。

したがって、相手方らは、抗告人に対し本件賞与請求権を有するものというべきであるから、抗告人の抗告理由2も採用することができない。

3  そのほか、記録を精査しても、原決定を取消すに足りる違法の点は見当らない。

4  そうすると、各原決定は相当であって、本件各抗告は理由がないからいずれもこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 川添萬夫 裁判官 新海順次 佐藤榮一)

〈以下省略〉

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